3.6追悼声明文

                                2024年3月6日   

                     START~外国人労働者・難民と共に歩む会~

ウィシュマさんがお亡くなりになり、3年目を迎えました。慎んで哀悼の意を表します。

私たちSTARTがウィシュマさんに初めて会ったのは、2020年12月8日、場所は名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)の面会室でした。初めて会った時のウィシュマさんは、目立った病気もなく、元気で、日本語が話せない他の女性被収容者の通訳にも協力してくれていました。ウィシュマさんは、フランス語しか話せない被収容者に対して、日本語を教えたり、いろいろサポートしていました。当時、コロナ感染に対する入管の対応が不徹底だったことに対して、意見書を出したこともありました。その頃、面会時間は30分でしたが、その30分の話のなかでも、まわりに気配りができる人だという印象が、強く残りました。

STARTが、ウィシュマさんに、帰国できない事情があることを知ったのは、2回目の面会の時、12月16日でした。ウィシュマさんは、同じ国の男性からDV被害を受けていましたが、ウィシュマさんが名古屋入管に収容されたあとで、その男性から脅迫状のような手紙が届き、そこには、スリランカに帰ったら、必ず捜し出して罰を与える、と書かれていました。その手紙を読んだウィシュマさんは、身の危険を感じていました。最初は、早くDV被害から逃れて、スリランカに帰国したいと考え、オーバースティであることを明らかにして、警察に出頭しました。その後、ウィシュマさんは名古屋入管に収容され、帰国同意書にサインをしました。ところが、すぐには帰国できない事情が生まれてしまったのです。「帰ると殺される。帰国したくない、日本に残りたい、どうしたらいいですか」と、苦しい胸の内を明かしてくれました。私たちが支援することを伝えると、ウィシュマさんはとても喜んでいました。

しかし、その翌日、ウィシュマさんが、職員に「スリランカに帰らない、日本に残る」と伝えると、途端に、職員の態度、表情は一変しました。ウィシュマさんが収容されている部屋まで職員が来て、「帰れ、帰れ、ムリヤリ帰される」と、何度も何度も帰国圧力をかけるようになりました。この職員の態度の豹変に、ウィシュマさんは恐怖を感じて、「明日面会に来てほしい」と、夜、電話がかかってくるほどでした。

この時から、ウィシュマさんは頻繁に帰国圧力を受け、明日にでもスリランカに帰されてしまう、帰ったら殺される、という恐怖と孤立感に苛まれるようになり、これが強いストレスになったと思われます。12月下旬になると体調を崩してしまいました。1月に入ると、食べても吐いてしまう状態が続き、2月には自力で歩けないほどに衰弱してしまいました。体重も激減し、ウィシュマさんが亡くなってから明らかにされた、2月15日の尿検査は「飢餓状態」を表していました。

ウィシュマさんはいつ追い帰されるかわからないというプレッシャーに耐えながら、外に出ることを望んでいました。入管に対して、点滴を打ってほしいことや病院に連れて行ってほしいことを、必死に訴えていました。水やおかゆに砂糖をとかしたり、お菓子を食べてみたり、なんとかして栄養をとろうとしていました。

3月3日、ウィシュマさんとの面会の最後となった日、彼女は激やせし、歩くことができないどころか、もはや自力で腕もまともに動かせないほどの状態でした。それでもウィシュマさんは、その外見とはあまりに不釣り合いな言葉を発していました。「戻さない、頑張って食べる。」と。また、洗濯用の洗剤と柔らかい歯ブラシを持ってきて欲しいと、言っていました。そして、面会の最後、面会室を車いすに乗って出て行く間際に、「今日連れていって」と、その日一番大きな声を発しました。それが、ウィシュマさんの最後の言葉であり、後ろ姿でした。ウィシュマさんは、生きて外に出ることを望んでいました。

面会を終えて、すぐさま処遇部門へ行き、責任者を呼び出し、「このままでは死んでしまう」、「すぐに点滴を打て、入院させろ」と抗議、要求しましたが、入管側は「大丈夫、大丈夫、次の病院は決まっている。」と言うだけで、病院名も明らかにせず、まともに対応しようとしませんでした。

ウィシュマさんが亡くなった後で、明らかになったことですが、この面会の翌日、ウィシュマさんは入管指定の病院の精神科に連れて行かれました。そして、診察した医師が入管に提出した報告書には、「傷病名」の欄に「身体化障害あるいは詐病の疑い」と書かれていたのです。これは、入管職員が、「詐病の疑い」という誤った情報を提供したことによります。

入管側が判断して「保護」したウィシュマさんは、単独房に収容されたまま亡くなってしまいました。名古屋入管は「大丈夫、大丈夫」を繰り返し、激やせして手足もまともに動かせない人を「精神科」に連れて行き、「身体化障害か詐病か」という診断まで出させて、いまだに責任逃れをしていることは、絶対に許されません。

現在、国家賠償請求裁判が行われていますが、入管・国側の態度はあまりに無責任であり、われわれ日本人にとっても、こんな行政、こんな国はまったく当てにならないと言わざるを得ません。このままでは、国に任せて、安心して生活できる保障はありません。

ウィシュマさんのご遺族は、ウィシュマさんの死をスリランカ大使館からの連絡で知りました。入管という日本の公的な機関の収容施設で亡くなったことは分かったものの、入管からの謝罪はなく、なぜ亡くなったのかも伝えられませんでした。日本の子どもたちに英語を教えたいと、夢が叶うことを祈って、笑顔で送り出した家族は、現実をとても受け入れることができませんでした。このままでは前に進めないと、ウィシュマさんの妹のワヨミさん、ポールニマさんは、真相究明を求めて、2021年5月に来日しました。

 ご遺族は、来日以降、名古屋入管局長や上川元法務大臣と直接話をしたり、死の真相と責任の所在を明らかにするために行動してきました。重要な客観的な証拠である、ウィシュマさんが収容されていた部屋の、監視カメラの映像2週間(295時間)分の全部の提出を強く求めてきました。しかし、法務省・入管庁はビデオを5時間分しか提出せず、3年が経った今でも、最も必要とされている証拠が、裁判所に提出されていません。法務省・入管庁は、ウィシュマさんの死の責任を取ろうとしていません。

2021年3月に提訴し、現在進行中の民事訴訟の中でビデオ映像の一部が開示されましたが、映像を見ると、ウィシュマさんが、呼吸ができずうめき声をあげている様子や、「点滴お願い」、「病院に連れて行って」と必死に訴えている姿、しかし、まともに対応しない職員の態度、ウィシュマさんが食べたものを戻しているのに、ムリヤリ食べさせている職員の映像等が、はっきりと映っているにもかかわらず、国側はウィシュマさんの死の責任を認めていません。

入管には、被収容者の命と健康を守る責務があります。入管は、ウィシュマさんを詐病扱いし、ウィシュマさんの命の懇願を無視し、「生きて外に出る」ための必死の努力を妨害したのです。誰がウィシュマさんの命を奪ったのか、それは名古屋入管であり、それを管理する入管庁・法務省です。

 ウィシュマさんのご遺族は、「詐病で人は死なない」、「姉の尊厳のためと言うなら、なぜ亡くなる前に点滴すら打たなかったのか」と怒り、ウィシュマさんの人としての尊厳を守るため、そして再発防止のために、真相究明を「絶対に諦めない」と訴え続けています。STARTは、ウィシュマさんが衰弱しながらも、生きたい、外に出たいと訴える姿、その声を、面会室のアクリル板越しに見て聞いてきたにも関わらず、ウィシュマさんを救い出せなかったことを、支援者として日本人として痛苦に謝罪します。そして、私たちSTARTのみならず全国の支援者、支援団体、そして差別に反対する多くの方々が、この事件を教訓として、ご遺族と同じ立場に立って、法務省・入管庁・名古屋入管を許さず、真相究明、再発防止の実現へ向けて、全力を尽くしてご遺族と共に闘っていくことを、心から訴えます。


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