名古屋入管死亡事件・3月4日「診療情報提供書」に対するSTARTの見解

 亡くなったスリランカ人女性が3月4日、外部病院の精神科で診察を受けた際、医師から入管に対して「診療情報提供書」が提出されており、その内容が明らかとなっています。



(1)「病気になれば、仮釈放してもらえる」という支援者の発言について

 診療情報提供書によると、女性の体調について「支援者から『病気になれば、仮釈放してもらえる』と言われた頃から、心身の不調を生じており、詐病の可能性もある」と記載されています。しかし、支援者から女性に対し、「病気になれば仮釈放(仮放免)してもらえる」といった趣旨の話をしたことは一度もありません。入管は、支援者が被収容者と面会をする際は必ず立ち合いの職員を同席させ、支援者と被収容者とのやり取りを記録しています。支援者が女性に対して「病気になれば、仮釈放(仮放免)してもらえる」と言ったことを主張するのであれば、誰が、いつ、どのような表現で言ったのか、証拠を出すべきです。

(2)「詐病」の判断について

 診療情報提供書には、「初診」という言葉も見られることから、医師は3月4日の受診が初めての診察であったことが分かります。初診の医師が、女性と支援者がどのようなやり取りをしていたのか、把握しているはずがなく、また女性から医師に対して「支援者から『病気になれば、仮釈放してもらえる』と言われた頃から、心身の不調を生じて」いる旨を話すことも考えられません。つまり、「支援者から『病気になれば、仮釈放してもらえる』と言われた頃から、心身の不調を生じており、詐病の可能性もある」という情報は、入管から医師に対して提供された情報と考えられます。しかし、2月5日の外部病院での診察、また1月下旬以降、度々行われていた庁内診療(名古屋入管の局内での診療)の中で、医師から「詐病」という診断が下された記録はありません。つまり、「詐病」という見解は、明確な根拠のない、入管側の主観的な見解でしかありません。

 4月9日に提出された「中間報告」には、女性は、吐いているのに、薬も飲まず、入管の出す給食は食べないが、自分で買った菓子パンやお菓子、コーラは飲んでいた、ということが繰り返し記載されています。まるで女性が、わざと病気のふりをしていることを印象づけるような内容です。しかし、女性はわざと薬を飲まなかったのではなく、薬を飲んで吐いた経験をしてから、吐くことが辛くなりその薬を飲まなくなりました。水を飲んで吐いたら、水も飲まなくなりました。食べ物についても同様です。女性は、生きるために、吐かずに飲んだり、食べたりできるものを探していた、というのが実際です。それでも必要なカロリー量を摂取できず、日に日に痩せ、衰弱していきました。そのような女性の状態を、入管は「詐病」と捉えていたのです。

(3)入管が医師と患者の間に介在していることについて

 (2)で述べたような、入管の根拠のない、偏見に満ちた見解が、医師の明確な判断を出すことの妨げとなり、女性を死に至らしめたと言っても過言ではありません。3月4日に診察を行った精神科の医師が、「患者が仮釈放を望んで、心身の不調を呈しているなら、仮釈放してあげれば、良くなることが期待できる。患者のためを思えば、それが一番良い」という見解を示しているにも関わらず、「どうしたものであろうか?」と明確な判断を下せなかったのは、それだけ入管から医師に提供される情報の影響力が強いことを現しています。

入管施設の被収容者に対して行われる医療は、普段私たちが受けている医療とは全く異なるものです。私たちが病気になれば、受診する日時や病院、診療科を自分の意思で選び、病状などの情報は、患者から医師に直接伝えられ、医師はその情報をもとにして診察、診断を行います。しかし、入管の被収容者は、受診する日時、病院、診療科を自らの意思で選ぶことはできません。全て入管が決定し、診察時の情報提供も、患者からではなく入管から行われます。入管の中では、医師と患者の間に入管が介在し、かつ医師と患者の関係よりも医師と入管の関係が主要な関係となっており、患者である当事者は蚊帳の外に置かれる構造になっています。このような構造の下で、被収容者に対して受診する病院や診療科を伝えられない、通訳を同行させなかったために、患者である被収容者が医師の話を理解できないなどの問題も度々発生します。

 以上が3月4日の「診療情報提供書」に関するSTARTの見解です。今回の死亡事件は偶然起きた、特殊的な事件ではなく、現行の入管法に裏付けられた、入管の強大な権限、裁量権のもとで医療行為が行われた結果と言えます。他の被収容者も、同様の状態に置かれており、死亡事件の一日も早い真相解明と再発防止を検討、実行する中で、入管行政の在り方を根本から見直していく必要があると考えています。